地域間格差の動向と地域開発政策のあり方
−体系的な地域技術政策の確立に向けて−
 
主任研究員 谷沢 弘毅
 
 
(1)再び縮小に転じた格差
 地域経済のパフォーマンスを統一的に把握するには、いろいろな考え方があろうが、 重要な概念として地域間格差があげられる。ここで地域間格差とは、地域の経済力を代理する各種の経済指標が各地域間でどの程度、乖離しているかという意味である。このような内容を示す経済指標は、ほぼ1世紀前から多数開発されてきたが、そのうち代表的な指標としてジニ係数をあげることができる。
 いま、ジニ係数によって47都道府県間の格差(以下、県間格差という)を計測してみよう。ジニ係数は、それが大きい(小さい)ほど県間格差が大きい(小さい)ことを示している。図1からわかるように、1人当り県民所得の県間格差は61年をピークとしてその後大きく低下したが、79年をトラフとして以降は上昇に転じた。そして90年にピークとなった後、再び縮小傾向となっている。以上の傾向は、いわば地域経済における分配面の特徴を示したものであるから、これを生産面、支出面からも検討する必要がある。そこで1人当り県内総生産(あるいは県内総支出)で確認してみると、61年のピークが57年、90年のピークが89年となっているが、ほぼ同じような傾向を示していることが確認できる。
 

 
 以上のような格差の変動で注目すべき点は、@高度成長期を通じて急激な格差の縮小が達成されたこと、Aその後の格差が拡大した時期は第2次オイルショック以降の安定成長期(特に、サービス経済化が進行した時期)に該当すること、B再び格差が縮小した時期はバブル崩壊後であること、といったわが国の主要な経済構造の変動にみごとに対応していることである。特に@の事実から、わが国の地域開発政策は地域経済の発展に向けて有効に機能した、という主張も見受けられる。
 ここで、わが国の格差水準を他の先進国と比較しておこう注1)。このために生産格差を10地域で計測し直すと、78年の0.0594がトラフとなる。他の先進国における近年のトラフの時点とそのジニ係数を列挙すれば、イギリス(77年、0.0473)、アメリカ(86年、0.0480)、カナダ(91年、0.0748)、イタリア(83年、0.1308)となる。これより判断すると、わが国の格差は必ずしも際立って低い水準を示しているわけではない。さらに上記の国々では、トラフまでは大幅な縮小傾向にあった点や、近年に至って格差の縮小傾向が大幅に鈍化したり、拡大に転じたりしている点もわが国と共通した事実である。これらの事実から判断すると、わが国の地域開発政策は他国と比較して特段、政策的に成功したとはいえず、むしろ先進国共通の格差変動に関するメカニズムが働いていたように思われる。
 
(2)格差の変動メカニズム
 地域間格差の変動を確認した次ぎの作業は、なにゆえこれらの変動がおこったのかを検討することである。この作業をおこなうにあたって力を発揮するのが、まさにジニ係数である。ここでは、ラオ(Rao,V.M.)によって開発された方法によって、ジニ係数(県間格差)の要因分解をおこなってみた注2)
 詳しい分析結果は割愛するが注3)、要点のみを列挙すれば次のとおりである。生産面では、表1で示されているように高度成長期に急速に進んだ格差縮小は第2次産業によって達成されたのに対して、80年代の格差拡大は第3次産業によって現われており、さらに最近の拡大は再び第2次産業によって起こっていたことが明らかとなった。また分配面の変化を表2によってみると、60〜80年代までは雇用者所得が大きな影響を及ぼしていたのに対して、90年代における格差縮小では企業所得の影響が極めて大きくなっていた。
 

 

 
 以上からわかるように、高度成長期には工場誘致が地域の雇用者所得を増加させることによって格差を縮小させたが、80年代には都市圏のサービス経済化の進展によって格差が拡大した。さらに80年代末以降は、急激な資産価格の下落のもとで都市圏の企業所得の急速な悪化が格差を縮めることとなった。特に80年代末以降の格差縮小は、都市圏の経済的ダメージから発生しているとみなすことができるから、格差が縮小したからといってかならずしも素直に評価できるものではない。
 ここで我々は、このような格差の変動メカニズムをいかに評価すべきか、再考すべきである。戦後の地域開発政策では、ほぼ一環して地域の自律的成長を目標としてきた。この目標に沿って考えると、現実に達成された地域経済の成長は、あくまで工場の誘致で発生しており、それによって獲得した導入技術(borrowed technology)を地域内で定着させていくことがさほど多くはなかったと推測される。
 事実、筆者が現在実施している北海道経済に関する研究では、高度成長期における製造業の技術進歩を全要素生産性(Total Factor Productivity;TFP)という指標によって計測してみた。TFPとは、労働投入量と資本ストック以外の要因によって達成された成長率であり、その大半は技術進歩によって達成されたものとみなすことができる。いま、1966〜72年における付加価値の年平均成長率のうちTFPによって達成された成長率をみると、全国では1.29%、北海道では0.58%となっていた注4)。この計測結果から判断すると、北海道は全国より研究開発力が弱かった、つまり工場誘致で導入された技術が地域経済の自律的発展力まで高められなかったとみなすことができる。
 
(3)地域開発政策で見落とされたもの
 次に我々は、戦後の地域開発政策におけるいくつかの問題点を整理しておく必要があろう。この点については、@工場誘致政策は雇用機会の確保や所得増加にはある程度は成功したものの、地域技術の育成・強化には不充分であること、Aかならずしも財政的ゆとりがあるとはいえな自治体でさえ、ハード面の整備を先行させソフト(制度)面の仕掛けづくりをおろそかにしてきたこと、B政策に実行性が乏しく目的が明確化されていないこと、などがあげられる。
 以上のような問題点を従来の地域政策に則して整理すると、図2で示すことができる。まず新製品を開発・販売するためには、企画→設計・試作・評価→生産→販売に沿った多くのプロセスが必要となる。このような開発プロセスのうち、高度成長期の工場誘致政策は基本的には進出工場との下請関係を形成することによる技術移転のみが期待されていた。そして開発力の基礎体力をつけた後に、自らが新製品を開発することを想定しており、自治体が技術政策に積極的な役割を負うわけではなかった。
 

 
 このような自律化戦略は、80年代の低成長期に入って曲がり角にきた。この背景には、急速なME化や円高の進行によって国際規模での分業体制の再配置が実施されるなど、いわゆる産業の空洞化が顕在化したことがあげられる。そして遅まきながら地域企業の技術開発力を増強するために、インキュベーター・産業支援施設内での技術開発や地元大学・公設研究機関による技術指導、共同研究開発の実施(TLO)などが模索されるようになった。また、販売網の形成を自治体が手伝うところまで至っており、高度成長期と比べると技術政策自体を直接実施するようになった。
 これらの地域技術政策は、以前と比較するとかなり充実してきたことは事実であるが、依然として不充分であることは明らかである。図2で示されているように、シーズ・ニーズの発掘といった第一段階のプロセスも、基本的には私企業の問題として公的な地域政策の俎上にのることはなかった。同様の問題は、大学等の公的機関による技術指導等でも解決されない。また、製品開発プロセスのなかで、インキュベーターで達成可能な部分はあくまで試作品開発技術(あるいはせいぜい量産設計)部分にすぎず、工場を持たない起業家にとっては生産技術の研究をおこなうことは困難である。
 もちろん、最近に至ってこれらの開発プロセスに沿った政策の欠落部分を補おうという動きが現われていることも事実である。しかし現状では、域内の中小企業すべてを対象として薄く広く実施されており、政策上のメリハリやプライオリティを付けないことが多い。現状の地域技術政策を開発プロセスに沿って評価すれば、いまだ体系化されていないということができよう。
 
(4)体系的な地域技術政策の確立を
 体系的な地域技術政策を実施することは、限られた資源(あるいは技術)環境のなかではきわめて難しい問題であろう。各地域が同一の政策を実施することができるわけではなかろうが、具体的な事例としては以下のような政策が考えられる。
 まず現状の技術政策で欠落しているシーズ・ニーズの発掘から適応技術の選択までの部分では、家庭内で進行しつつあるインターネットの普及に対応して、まったく見ず知らずの個人が保有している各種技術(あるいは熟練技能)のアイデアを、ネット上でマッチングさせる機能をもたせることが考えられる。これは、知的所有権に関わるサイバーマーケットの確立ともいえるものであり、急速に普及していくことが予想されよう。特殊技能を有した主婦の労働力化や第一線をリタイアした技能者の再活用化のためにも、インターネットはきわめて有効なマーケット調整機能を提供するはずである。
 他方、生産技術・工程管理技術の高度化についても、力を入れるべきであろう。最近は、アウト・ソーシングやファブレス企業がもてはやされているように、必ずしも生産機能をすべて自社内に持つ必要はないという主張も現われている。ただし、このような主張は、明確に差別化がおこなえる製品では有効な手法であるが、さほど差別化がおこなえない場合には、一定水準の品質を確保するために生産機能を自社内に保有すべきである。また今後は、かならずしも発注先企業から下請関係による安上がりの技術移転が達成されるとはかぎらない。このため自治体などが一時的な工場需給の不一致を調整するために普及しはじめた現在の貸工場制度を、中小企業の生産技術・工程管理技術の開発向けに新たに位置づける必要性が生じよう。
 もっとも、以上のような従来の部分的な地域技術政策を見直すことには総論としては賛成できるものの、一部には問題がないわけではない。なぜなら、製品開発とは本来は極めて私的な営利活動の一部であり、これを公的セクターが支援することは結果的には一部の企業に公的資金が流用されることとなるためである。
 それゆえ、これらの地域技術政策の実施に躊躇する議論も、多々現われてこよう。このような政策で求められるのは、これらの政策の恩恵を受ける企業や個人をいかに公平・適正な基準で選定するか、さらに政策を実施するタイミングをいかに図るか、といった透明性を高めることである。この点では、純粋な公的セクターである自治体が直接、これらの事業に乗り出すよりは、公設研究機関や政府系金融機関などのような地域内の利害と直接関係のない独立機関が実施するほうが適しているかもしれない。これも今後の検討課題といえよう。
 
(北海道東北開発公庫編『季報、ほくとう』第50号、1998年11月掲載論文)
 
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注)
1)詳細は、谷沢弘毅(1998)「地域間格差と経済発展の関係−18ヵ国における数10年の国際比較」未定稿、谷沢弘毅(1999)「戦後日本の地域開発政策は、はたして成功したのか」(財)日本地域開発センター編『地域開発』99年1月号を参照のこと。なお、わが国の生産格差をあえて10地域で計測し直した理由は、ジニ係数は地域数が異なることによって計測値が変化するためである。このため以下の先進国の計測値も、ほぼ10地域で計測した数値である。
2)産業別の要因分解の方法を具体的に説明すれば、以下のとおりである。いま、各県経済がn個の産業で構成されていると仮定すれば、ジニ係数()は以下のように書き換えられる。

ここでは第i産業の生産額が県内総生産に占める割合、は第i産業の擬ジニ係数(iの分布を県内総生産の順位に並べてジニ係数と同様の計測をおこなった数値)を示している。このためを加重擬ジニ係数と名付ければ、地域間格差の変化率は加重擬ジニ係数を利用して産業別の寄与率に分解することができる。この方法は、Rao,V. M.(1969).“Two Decomposition of Concentration Ratio,”Journal of Royal Statistical Society,Series A,Vol.132.Part 3.pp.418-425.を参照のこと。
3)この点は、谷沢弘毅(1992)「戦後日本の地域間格差の動向」一橋大学経済研究所編『経済研究』第43巻第2号、谷沢(1998)「地域間格差と経済発展……」が詳しい。
4)全国のTFPは、浦田秀次郎(1996)「中小企業における技術進歩と下請制度」経済企画庁経済研究所編『経済分析』(政策研究の視点シリーズ第1巻)より入手した。




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