製造業の環境条件を見直せ
戦略的見地から立地優遇策の検討を
国内立地優遇策の再構築


[視点]

 今中国などのめざましい躍進とIT不況や国内需要の伸び悩みに挟まれ、日本の製造業の土台が崩れようとしている。この状況を打開するには、製造業自身の取り組みは当然として、製造業の外部環境条件の改善が急務である。それは、低生産部門の生産性向上、消費拡大のための生活者不安への積極的対応、国内立地魅力の向上などだ。
また、モノづくりの中核である産業集積再生には、民間の創意工夫・地域の自主性を十分に発揮させること、そして政策効果の判断を共有化することが不可欠だ。

「国内」空洞化から「製造業」空洞化へ

 昨年増加を示した工場立地も、今年になってからの急激なIT不況の影響で、再びマイナスに戻りそうな情勢だ。
また、海外生産拠点設置の動きも、九0年代半ばまではアジア諸国を中心として拡大していたが、その後減少に転じている。今はピーク時の三割程度の水準だ。(図1)


また、貿易収支はおよそ二0年にわたり黒字を続けてきたが、九九年上期以降五期連続の減少を記録しており、それを支えた「強い製造業」が転換点にさしかかっていることを示している。輸出の減少は、米欧やアジア諸国の景気減速という要因が大きいが、エレクトロニクス製品の競争力が低下していることも事実で、企業収益を直撃している。また、輸入の増大は、機械産業におけるアジアの生産分業の進展、開発輸入などの増大を示すものだが、一層のデフレ圧力をもたらしている。

九0年代は製造業の中核を担ってきた地域産業集積においても、パフォーマンスが著しく低下した時期であった。代表的な産業集積二五カ所について見てみると、事業所数で二二%減、従業者数で一九%減、製造品出荷額で一九%、付加価値額で一六%減と軒並みのマイナスを示している。その下落幅は、同期間のわが国全体の落ち込みを超えるものであった。(表1)




こうした状況から、製造業の問題は、もはや国内生産から海外生産へのシフトによる"国内空洞化"どころではなく、製造業自体の活力低下、すなわち、"製造業空洞化"そのものであるとする議論が説得力を増している。

製造業をつぶす3つの条件 

 製造業の国際競争力が果たして強いか弱いか、世界ランキングではどの程度かといった評価は他稿に譲る。ここでとりあげたいと思うのは、「製造業をより不利な条件におかないため、追いつめないためには、どうすればいいか」といった考察であり、製造業の内部より外部環境条件について把握だ。

@規制・保護を続ける
最初に触れなければならないのは、円高を介して、製造業の生産性向上がむしろ製造業の競争条件を悪化させ、空洞化をもたらすというパラドクスだ。これは、製造業の国際競争上の比較優位→円高→採算性の悪化→コスト圧縮・生産性向上努力→比較優位の持続→円高→採算性の悪化→一層のコスト圧縮・生産性向上努力→製造業の選別の進行、という一連のプロセスで生じる。
一方、農林水産、建設、金融・保険、医療、教育、不動産、通信、電力・ガスなど非貿易財的な産業、あるいは参入障壁の高い産業では、競争圧力が弱く、生産性向上も低いレベルでとどまっている。そして、賃金水準の向上は、もっぱら価格転嫁を通じて行われることになる。
またこれら産業は、社会経済的な重要性や公共の利益といった見地から、さまざまな規制を受けると同時に、保護されてきた産業であることが知られている。しかし、九0年代後半からの遅ればせの規制改革や新規参入の促進を通じて、ようやく生産性向上への動きが始まっているように見える。
 ここからは、選択の問題である。製造業を衰退させることに力を貸すか。(そのために必要なことは何もない。低生産部門に係わる規制と保護を続けていればいいのだ。)そうでなければ、手間と摩擦を覚悟して規制改革に取り組むべきなのだ。

A不安を放置する
 産業構造審議会の新成長政策部会(二000一年七月)が指摘するように、「消費の拡大をともなわない設備投資は長続きせず、最終消費の拡大に資する設備投資こそが重要」であり、消費の伸び如何が日本経済の、そして製造業の行方を左右している。では、GDPの五六%を占める最大の項目である消費の現在をどう捉えるべきか。
 個人消費は、九八年度以降、前年比で0・八%、0・七%、一・一%減と推移しており、停滞が続いている。今年度も景気・雇用情勢の悪化、さらに九月の事件の影響などから、マイナスとなるのは確実な見込みだ。
ところで、わが国の消費水準をどう評価すべきなのであろうか。図2を見ていただきたい。縦軸は一人当たり消費額であるが、日本は米国の三/四でドイツと並んでいる。また、一人当たりの金融資産では米国に次いでおり、ドイツの三倍に達している。(しかし、日本の住宅や都市環境はお世辞にも世界水準とは云えない。)



つまり、「失われた一0年」の後でも、日本の消費は世界最高の水準にあり、資産的にも決して貧しいわけではないのだ。市民が支出を減らしているのは、将来の仕事や収入への不安(五九%)、年金や社会保険給付の減額(五五%)、不況やリストラによる収入源(四九%)といった蓋然性の高い不安からなのだ。
これに積極的かつ本格的に応えること−生活水準の向上を実感できる豊かな住宅と住環境の提供、将来の不安を払拭する雇用制度や年金制度改革−なくして小手先の景気対策や流行をつくりだそうと新奇な商品づくりを行っても、もう効果が限られていることを認識すべきであろう。
狭い家に住み、遠距離通勤をし、一通りのモノもすでに買いそろえた。もし今後、失業と将来の不安が続く可能性が強いとしたら、どうしてこれ以上消費を増やす気になれるのだろう。

B立地企業の立場に立たない
 さて、先に指摘したようにわが国の国内立地は低迷しているが、それだけでない。わたしたちのヒアリングでは、熱心な企業誘致を受けて進出したものの、その後期待したような地域の支援もなく、撤退を考えているという企業が、大都市圏から遠い地域でかなりあることがわかった。
わが国の真空技術のトップ企業で東北地方のある産業集積地域に進出したT社の経営幹部は、新規立地を考える上で、日本の立地魅力がアジア諸国に比べてきわめて乏しいものになりつつあることを指摘した。
たとえば、ハイテク分野で成長が著しい台湾の台南科学工業園区(工業団地)では、団地整備(六五0ha)に合わせて、周辺二千haの地域において、海外からの進出企業幹部向け戸建て住宅、労働者向けの集合住宅、学校、ショッピングセンター、病院など公共施設整備を行うなどトータルな都市づくりを進めている。
 五年間の法人税減免(それ以降でも最高税率ニ0%)、最長三年間の研究開発費の半額補助など、思い切った優遇措置も講じられている。
さらに、進出から操業に際してのすべての許認可手続きが可能な行政のワンストップ窓口が団地内に設けられているおり、企業の利便性を大いに向上させている。
もちろん、賃貸工場(月三00〜千円/u)や自社工場建設の場合の借地代(約八00円弱)もきわめて低廉である。
表2は、アジアの主要都市の立地コストを日本と比較したものだが、インフラ面やソフト面での充実を勘案すると、いかにわが国のそれが、相対的に劣るものであるかがわかる。
成長余力がある日本企業が新規立地を考えるとき、国内立地へのモティベーションが下がっていることは否みようがない事実だ。

集積の再生は可能か

 わたしたちは昨年から今年にかけて、産業集積の総点検プロジェクトに参加する機会を得た。
 その過程でとくに強く感じられた三点を記したい。いずれにおいても、
@民間の創意工夫:浜松、北上川など産業活動がダイナミズムを失っていない地域の特色は、まず地元に産業づくりへの強い熱意があることだ。それは、さまざまに創意工夫された自主的な組織活動と迅速な状況対応になって表われる。これは「補助金がついたから」といったお仕着せ的なものでは見られないことだ。また企業どうしの競争や切磋琢磨の気風があることも見逃せい。

A地域に財源と選択を: 「地域の独自性や特色を生かす」ということを枕詞に終わらせないためには、地域が自らの責任と財源で産業政策を決定することが最善である。
過渡的には、ともかく地域がもっとも必要で適切だと思える対策を選択できる自由度を高めることであろう。
こうした中には、地域が、横並び的ではなく、前例もない思い切った立地優遇措置を講じたりする自由も含まれていなければならない。
一律的メニュー、「薄く広く」といった無駄や非効率を続ける財政的・時間的余裕は、国にも地方にももうないのだ。
 
B国は追試可能な情報公開を:
こうした地域や民間企業の自由な活動がどのような成果を生んでいるのか、どのような課題に直面しているのかは、絶えずモニターされ、評価され、広く公表されるべきである。
政策評価は今日、政策の透明性確保の不可欠な要素として認識されている。しかし重要なことは、第三者がこれを随時追試可能とすることである。これがないと、本当のところどの施策が適切で、どれが感心しないものであったかという認識が共有されないからだ。
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近年イタリア産業の復調が顕著なこともあり、イタリアの中小企業運営の手法に学べといった論が支持を得ている。
わたしはイタリアのある著名なテキスタイル企業幹部が来日の際、次のように詠嘆したと聞いた。「日本には、超ハイテク企業がある。また、町の小さな工場でも、みんな最高の技術を持っている。イタリアにはできないことだ。それなのに、後継者がいなくて、辞めてしまうという。企業は製品を安くつくるため、職人と機械を競争させて、職工にしてしまっている。どうしてそんなもったいないことをするのだろう。」
少なくともわたしには、それを起こさせない基本は明らかだと思えるのだが−。


(本稿は、日本工業新聞・シンクタンクの目(2001年11月14日号)を加筆修正したものです)

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